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情報労連「復興支援ボランティア」活動報告(第8クール隊参加報告・12月2日更新)2011.11.29

情報労連からの要請に基づく、情報労連「復興支援ボランティア活動」(岩手県大船渡市)の、参加者の活動状況をお知らせします。

【第8クール】11月22日(火)~11月26日(土)
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第8クール隊データ本部からの参加報告です。
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左から、
佐直 正浩さん(基盤システム分会)、 本間 滋明さん(データ本部)、渡辺 宏道さん(法人システム分会)、
浜里 敬二さん(法人システム分会)

渡辺 宏道さん(法人システム分会)
oofunato-8_watanabe.jpg 私が今回、災害支援ボランティア活動を希望した理由は、被災地でボランティア活動をされている方をテレビ等で目の当たりにし、私自身も復興支援で何かできることは無いかという気持ちになり、今回、応募いたしました。
 私が担当した支援内容は、大船渡にある養殖場で、津波により側溝に溜まった砂や泥を土のう袋に詰める作業でした。その砂や泥の中には窓ガラスの破片や木くず、壊れた配管のプラスティック破片やタイヤの破片等が含まれ、危険を伴った中での作業でした。
 その養殖場の敷地内にある建物は窓ガラスが尽く割れ、天井からは断熱材がぶら下がり、鉄骨がむき出しの状態となり、壁は破壊され跡形もなく、柱の鉄骨も折れ曲がっている状態を見るにつけ、地震や津波の恐ろしさをまざまざと感じました。 
 初日の作業後に陸前高田市を視察に行きました。 震災後、8か月を経た今でも、建物は破壊されたまま、焼け焦げた自動車とがれきは山の様に高く積まれていました。
 そして、所々、線路が寸断されたJR大船渡線、地盤沈下で満潮時に浸水する漁港の状態を見るにつれ、復興への困難さを痛感しました。
 帰りの車中では震災後、8か月が経ったとはいえ、未だに避難所生活を強いられている住民の方々の気持ちを思い、早期に復興され、一日も早く震災前の生活に戻れるようにと願いつつ、大船渡の地を後にいたしました。

佐直 正浩さん(基盤システム分会)
oofunato-8_sajiki.jpg テレビや新聞などのメディアでの情報だけでなく、実際に現地に行って、自分の目で被災地を見てこないと本当のことはわからないだろうと思い、ボランティアに参加しました。初めて見る生の被災地は衝撃的でした。とくに陸前高田はほとんど建物が残ってなく、自然の脅威を肌で感じました。
 情報労連の復興ボランティアでは岩手県大船渡市にある栽培漁業センターの側溝の泥出しを実施しました。
 作業時間は1日約4時間ほどでしたが、実際に作業をしてみると思ったよりも大変で、側溝一つ片づけるのに一日かかりました。
 栽培漁業センターということもあり、養殖されていた牡蠣の殻や、プラスチックのパイプ、タイヤなどが多かったです。
 現地で働いていた方々が以前のように仕事をするためにはまだまだ作業が必要だと思いました。
 大船渡でのボランティアは次のクールでいったん終了となりますが、機会があれば来年も積極的にボランティアに参加したいと思いました。




浜里 敬二さん(法人システム分会)

oofunato-8_hamasato.jpg 今回の作業は漁礁センタの側溝の泥出し作業でした。
 私は5回ほど震災ボランティア経験がありましたが、情報労連の方々の巧みなスコップさばき、重労働なのに黙々と作業をされる姿は頼もしい限りでした。
 埋まっていた巨大なパイプを、周りの泥を掻き出して協力して担ぎ出した時には大きな達成感がありました。
 我々の作業は復興への確実な一歩になったと思います。今後も震災ボランティア活動を継続いきたいと思います。






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11月22日掲載

【第8クール】11月22日(火)~11月26日(土)
第8クール隊が出発しました。
参加者は、以下の皆さんです。
浜里 敬二さん(法人システム分会)、渡辺 宏道さん(法人システム分会)、佐直 正浩さん(基盤システム分会)、 
本間 滋明さん(データ本部)


活動写真や参加報告は引き続き掲載します。

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11月11日掲載

【第5クール】11月1日(火)~11月5日(土)
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左から、
大竹 理瑛さん(NST分会)、松井 優帆さん(NDI分会)、片上 啓次さん(金融第四分会)、
吉田 岳志さん(データ本部)

松井 優帆さん(NDI分会)
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 私が災害支援ボランティアを希望したのは、被災地のことを決して忘れてはいないということを、東北の方々に伝えたかったからです。今回それを実現できる機会を頂き、非常に感謝しています。
 民間団体の活動では、個人で必要な装備が十分かどうかの判断ができず、また宿泊地や食事の確保など衛生面の不安があったため、すぐにでも行きたい気持ちはありながらも、機会を逸していました。今回、交通・装備・宿泊施設・食事など全て整えて頂いており、恵まれた環境で何一つ心配なく活動できたので、大変ありがたかったです。防塵マスク・ゴム手袋・長靴といった必須アイテムも万全の準備をして頂いていたため、個人では5日間の着替えを持って行くだけで済み、衛生面でも安心できました。
 現地では、被災者の方にお話を伺う機会も設けて頂きました。ボランティアは個人や自治体が本来行う作業を肩代わりして行います。業者に依頼すると莫大な費用がかかります。ボランティアの存在は、個人や自治体の費用負担の軽減につながり、金銭面でダイレクトに助けるそうです。個人で地道に募金をすることも支援のひとつではありますが、現地で体を動かすことによる組織的な支援の力は強力だと感じました。
 情報労連の皆さんが「被災者の方の心に寄り添う」というスローガンの通り、被災者の方に失礼のない態度で心のこもった活動を継続されていることで、被災地の方々に感謝されているのがよくわかりました。今後もぜひ組織的・継続的に活動をして頂きたく、個人的にもできる限り協力していきたいと思います。

大竹 理瑛さん(NST分会)

oofunato-5_ootake.jpg 私は、大学生活を岩手県大船渡市で過ごしました。震災以降初めて大船渡市に訪れましたが、以前と全く異なる街並みに愕然としました。
 震災から約8ヶ月。ライフライン等は復旧し、道路は通行できますが、瓦礫は依然として街の中に山積みとなっており、津波で破壊された建物は解体されず残っていました。
被災地では、まだまだ支援が必要であることを実感しました。時間が経過しても東日本大震災を忘れることなく、支援活動を続けなくてはいけないと感じました。







片上 啓次さん(金融第四分会)
oofunato-5_katakami.jpg 重機がけたたましく、数台のダンプカーが休まず往復し続けるが、人を見かけるこことは無かった。
いまなお、2011年3月11日に起きた東日本大震災以降、被災地である沿岸地方では未だ、多くの方が避難生活を強いられているのであろう。
 地震と津波によって甚大な被害が発生した、地域の被災された方々の復旧・復興に向けて、些細なことでもお手伝いできればと思い、2011年11月1日から5日まで、情報労連「統一ボランティア行動」(岩手県・大船渡)に、データ本部から、松井、大竹、吉田、片上の男女4名を含む全国の各企業本部から20名が復興支援活動をして参りました。
 当期間の中日、夜宿舎にて、震災当日に沿岸部から振り向くこともできず、必死で走り続け難から逃れた情報労連の仲間から、当時の様子、被災後社会の様子を生々しく語っていただき、産業団地であったと思われる施設、鉄道の軌道や駅舎、平常時には多くの人でにぎわって居たであろう長い商店街、現実、生活・経済基盤の全てがなくなってしまった様子をうかがえることができた。
 昼休みなどを利用して、陸前高田や三陸町の某大学も見ることができた。
 マスコミでよく報じられる「一本松」以外は見る物がない陸前高田や学生でにぎわって居たであろう三陸町の某大学、現在、学生をはじめ全ての機能が関東に疎開しているとのこと。
 多くの方が犠牲に遭い、難を逃れた方々も他地域に疎開している方が多く居る。
 大船渡港は直接外海に向かっていなく、入り江の先には干渉となる島もありながら、今なお残る大きな船を陸奥に押し流してしまうとは思えないぐらいの良港であるように感じた。
 さんまの水揚げは全国3位を誇るとのこと。
 今日も仮設店舗で水揚げされた、さんまの発送に取り組んでいた。
 整地された場所に基礎工事を始めているところも見かけることができた。
 少しずつ、生活・産業の基盤整備し、真の復興に向けて動きかけ、早い時期に人々が戻りにぎわってもらいたいと祈願する。
 最後に、今回の主な活動は、各班に準備されたレンタカーを運転し、社会福祉協議会から指示された現場に向かい、つるはしとスコップを手に土嚢袋にがれきを詰込み収集するという、肉体系の作業を延々と朝の9時から15時30分までやりつつける作業でしたが、はるばると愛知の日進市から大型バスで駆けつける団体や個人参加のボランティアの多くの方々とコミュニケーションをとることにより、時を感じることなく活動をすることができした。誰もが仕事を選ばず積極的に力を出し合い、清々しく活動をさせていただきありがとうございました。今回、3人の女性が参加され、受入環境も整っていた。
 マスコミで報じられるようなボランティア活動の規模が縮小しても、ある市では、データ投入作業の依頼もあるとのこと。各地では依然ボランティアの手を必要としているのは事実ある。
 物の購買や観光も風評被害の払拭も支援であるように思うし、多くの人に、今回のような活動に1回でも参加してもらいたいと強く思う。

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10月31日掲載

【第2クール】10月11日(火)~10月15日(土)
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左から、
五十地 清さん(北海道分会)、岩井 伸丈さん(技術開発分会)、地野 尚吉さん(法人システム分会)、
遠藤 幸政さん(データ本部)

地野 尚吉さん(法人システム分会)
oofunato-2_chino.jpg 
今回の「情報労連ボランティアin大船渡」の参加者募集を見て被災地出身の私は、すぐに応募しました。震災後、二度地元を訪れ、個人的な手伝いをしてきましたが。組織的に活動ができるボランティアとして、街全体を視てみたいと思ったからです。
 被災した建造物が解体され、視界を遮る物がなくなると、震災前に見慣れた穏かな海辺を見渡せるようになっていました。 被災された方は、住居や仕事場の跡にたたずんで何を考えたであろうか? 今回の活動の最終日に、被災者である地元の方から、まず、生きるために食う、寝る場所を確保する。食糧や飲料水等の確保のために老若男女を問わずに行動し、一部では「火事場泥棒」ならぬ「津波場泥棒」が横行して自販機荒らしや被災商店からの略奪行為、果ては被災死亡者からの金品剥ぎ取りまでする輩がいたそうで、報道されない部分を聞く事ができました。
 震災から七箇月が過ぎ、田んぼの稲や畑の野菜等、塩分によって生育が阻害される中でも雑草だけがひたすら空に向かって伸びている姿は印象的でしたが、その雑草採りをするのもボランティアの仕事の一端です。
 私は、2階床下まで浸水したS様宅の一階部分の壁や床剥がし、床下の汚泥撤去といった作業に3日間従事しました。素人集団である自分達にできるかどうか不安でしたが、情報労連傘下の他の労組の方と一緒に仕事をする中で「親方」を中心に無事作業を終えることができました。
復興は、被災地だけの自助・自立だけで立ち向かうわけにはいきません。ボランティアを通じて、被災地一人ひとりの思いと心持が繋がり、活動が大地に根付き、更なる発展に繋がる事を願います。

五十地 清さん(北海道分会)
oofunato-2_isochi.jpg 10月12日から14日の3日間、復興支援ボランティア活動で大船渡へ行きましたが、どの様な活動を行うのか不安もありましたが、現地へ行き先ず驚いたのは、TV、新聞等の報道で見聞きしていましたが、被災した大船渡市内をこの目で見た時は驚愕を覚えました。瓦礫の山々、土台だけを残した住宅の跡地、鉄筋むき出しのコンクリート柱しか残っていなく、一瞬に荒廃化としてしまった、津波エネルギーの恐ろしさを改めて目、肌で感じ取りました。津波が無ければ被害状況が大きく変わっていただろうとの感想も持ちました。復興も市町村、県、国等の制約が立ちはだかり7カ月経過した今もほとんど変わり無い状況でした。今回の津波は「昭和35年チリ地震到達地点」プレートが大船渡市内の歩道上にありましたが、そのプレートから約30m地点まで達していました、港湾も地盤沈下で70cmも下がり、満潮時、大潮の時は水浸し状況でした。
 その中で地域住民の方々を含めたボランティア活動の重要さを感じました。日常の生活を震災前と同じ様に戻しつつ日々頑張って行く中で、被災された住宅等の改築、伸び放題となった雑草の草刈り、下水の汚泥ゴミ出し、河原の清掃等の作業はどうしてもボランティアの手を借りなくては出来ない状況です、是非組合員の方々も機会がありましたら参加し、自分の目、肌で感じとって見てはいかがでしょうか?
 そして、周りの人々にも伝承して行く事も大切な事と思います。機会があったら復興した大船渡も見に来て下さいとボランティア作業を行った住民の方も言っていましたので是非復活した街並みを見てみたいと思います。
 被災した住宅の時計は皆、津波到達時間「午後3時25分」で停止状態でした。

岩井 伸丈さん(技術開発分会)
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津波の惨状をテレビで目の当たりにし、募金以外にも何かできないかと思ったのが、参加のきっかけでした。初めてお会いする方々ばかりの中での活動に、参加前は不安もありました。しかし、事務局の準備が行き届いており不都合もなく、参加された全員の目的意識が同じだからでしょう、気持ち良く一緒に活動することができました。
 被災地で実感する惨状は、本当に凄まじいです。まだまだ多くの、そして長期の支援が必要と感じました。










遠藤 幸政さん(データ本部)
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3月11日の東日本大震災以降、被災者の方々に対し少しでも何か手伝えることはないかと思い、情報労連主催のボランティア(5月:宮城県亘理町、10月:岩手県大船渡)に参加させて頂きました。
 今回、岩手県大船渡でおこなわれた情報労連「復興支援ボランティア」第2クールには、データグループから3名の仲間(全体で25名)と一緒に参加しました。
 主な活動内容は、家の洗浄、敷地の草取り、河川の清掃などがありましたが、データ班(班分けして活動)は、津波で1階部分が全て塩水(泥と油が混じる)に浸かり、2階で生活している個人宅へ伺い、1階部分の天井板、壁板、床板、及び断熱材を全て取り除き、床下の土をかき出し消毒のため石灰を巻き、風呂場のコンクリートは重いハンマーなどを使用し、1階部分の柱を残しての解体作業をおこないました。
 今回、データ班の班長(スタッフ)として参加させて頂き、この解体作業が思った以上に重労働であり、且つ、釘が刺さった板やガラス破片、コンクリート片を運び出す危険な作業のため、班長として2日目、3日目は他の班と交代してもらう選択肢もありましたが、参加された組合員の方が“解体作業が終わるまで続けたい”という「責任感の強さ」「行動力」に助けられ、3日間大きなケガもなく無事作業を終了することができました。
 震災から7ヶ月が経ちましたが、ボランティアを通じて被災された地域に行くと、被災者の方々が今も厳しい生活を強いられていることを再確認しました。
 これからも被災地の復旧・復興に積極的に協力したいと思います。

今後の活動や参加者の感想を、引き続き報告します。


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